「泣きたいときは、好きなだけ泣いていいんじゃない」
最近、強くそう思うようになって、文章にしてみることにした。
テレビを観ていると「泣かないで」と言っている場面をよく観る。このあいだも、ウクライナの映像を観ていたとき、おばさんがお姉さんに「泣かないで」と言っていた。
「泣かないで」という人の気持ちが、いまの私にはよく理解できない。
きっと、慰めのつもりで言うのだと思う。どうやって慰めたらいいのかわからないから、とりあえず「泣かないで」というのかな?
目の前で泣かれても迷惑だから、「泣かないで」という場合もあるかもしれない。
私も以前なら、なにも考えずに、「泣かないで」と言ったかもしれない。でもいまは、泣いている人がいたら「思う存分、泣いていいよ」と言いたい。
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ものすごくむかしに占いに行ったとき、占い師さんから「あなたは泣くとき我慢して泣くんだね。かわいそうにね」と言われた。
その時に、はじめて、「泣くときには声をだす」ということを知った。私が20歳くらいのときだった。
そういえば小さい頃、少しでも泣くと、親にものすごい剣幕で怒鳴られたり、「泣くな!」って怒られたりしていた。
だから、だんだんと泣かない子になっていった。無意識に、泣くことを我慢するようになった。
私は小さい頃、歌を聞いて泣いてしまう子だった。
「大きな古時計」とか「およげたいやきくん」とか、子どものときに聴かされるけど、歌を聴くと悲しくて、あの時間が大嫌いだった。
私にとって、泣けないということは、すごくしんどかった。
どうしても泣いてしまうときは声をださずに、気持ちを押し殺して、ただ涙を流す子になっていた。泣くことはだめなこと、迷惑なことというふうに、自分の中にすり込まれていった。
「泣くときに声をだす」ということは、20歳を過ぎてから、意識的にするようになった。
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一般的にも、泣くことは、かっこ悪いとか恥ずかしい、弱い人っていうネガティブなイメージが強いように感じる。
人の目もはばからず、いつでもどこでも、わんわんと泣くのはよくないかもしれないけど、泣くという行為自体はだめなことではないと思う。
つらいと感じない。悲しくないことだったら、涙もでない。泣こうとも思わない。まして、泣き続けることはできない。
泣いてしまうのは、そのことが、自分にとってどれだけ大きなことだったか。どれだけ大きな悲しみだったか、ということ。
泣くということで、その悲しみや苦しみが少しずつ溶けていくと、私は感じる。
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ショックなことがあって、私は、1ヶ月半、毎日泣いたことがある。正直、こんなに泣けるものかと、自分でも呆れた。
1ヶ月半のあいだ毎日泣いただけ、私の悲しみはそれほど大きいものだったし。泣くことでその苦しみ悲しみは溶けて、癒されていったのだと思う。
だから、「泣きたいときは、好きなだけ泣いたらいいんじゃないか」と思う。
泣くことをどんなに我慢したって、だれかから「よく我慢したね」って褒めてもらえるわけじゃない。
べつに褒められたいわけじゃないけど、泣くことを我慢しても、自分の感情を押し殺すだけ。苦しみ悲しみが、溜まっていくだけ。
ただ理由もなく悲しい、涙が流れてくる、というときは抑うつ状態なのかもしれないので、心療内科の受診をおすすめしたいです。